|
|
|
<無形民俗文化財公開情報>
<名 称> 火鑚神事(ひきりしんじ)
<種 別> うきは市指定無形民俗文化財
<公 開 日> 毎年12月7日(12月第一土曜日になる可能性あり)
<公開場所> 三春天満宮(福岡県うきは市浮羽町三春2587)
火鑚神事は、三春地区の六集落の輪番で決められた祭主の家
<時 間>
午前中、三春天満宮 の掃除及び祭礼の準備
午後 1時ごろから祭主の家の庭で火鑚神事
<駐 車 場> 神社にはない 祭主は輪番であるので駐車場は不明
<ト イ レ> 不明(祭主の家は不可)
<問合せ先> うきは市生涯学習課 Tel. 0943-75-3343
(注意)公開場所や日時は変更になる場合があります |
|
|
<NIA取材記>
取材は、2019年12月7日に行った。
JR筑後大石駅のすぐ近くに三春天満宮はある。時間が不明であったので午前7時ごろ神社に着いた。
神社は祭礼準備の真っただ中で30人程度の男女が役割を分担して行動していた。
神社には駐車場がなく、神社前の路上に駐車して情報を聞いて回った。
三春天満宮の例大祭は、7日の「注連卸しの神事」に始まり9日に終わる。
火鑚神事は、この神社境内でやるのでなく、三春地区の六集落の輪番で祭主が決められ
その家の庭先で7日に行われる。
今回の取材では、神社から車で5分ほど離れた家が祭主であった。
年々、祭主は変わるので、当日早めに神社に行って祭礼の準備中の人に尋ねる方が確実である。
火鑚神事は、直会(昼食)後に行われる。
火鑚神事は各地にあるが、神官ではなく、地域住民が火を鑚るのは三春地区だけである。
この神事は簡単そうであるが、重労働である。若い男性が紐の両端を各3人で引きあう。
紐が切れたり、火鑽杵が飛んだり。いまか今かと火が起る瞬間を観衆は見守る。
火が出た瞬間、思わず歓声が沸き上がる。
2019年12月 池松卓成 記す |
<火鑚神事 の内容説明>
三春天満宮は、拝殿の両側にあるご神燈には「勧請千年祭、平成六年」と記載され、その歴史を証明する。
藤原一族が権勢の絶頂にあった時期。平安時代の長徳元年(995年)に、郡司の清原通村が大分県玖珠町から入り「入隈の館」を築き
三春天満宮の社殿を建立したという。
三春天満宮の例大祭は、7日に始まり9日に終わる。
三春地区には、川籠石、東長瀬、古賀、西長瀬、原、原口の六集落がある。
これら六つの集落が一年毎の輪番制で頭元となり、三春天満宮の掃除や祭礼旗の掲揚など、その準備一切の世話を行う。
火鑚神事は三日間の祭礼の最初の日に行われる行事である。
頭元から祭主(頭家)が選ばれ、ここを神宿として世話人地区総出で「注連卸しの神事」が行われ、
その中に、この古式豊かな火鑽(ひきり)の神事がある。
ヒノキのスリコギのような火鑽杵(直径3cm)をヒノキの角材をカンナで仕上げた火鑽臼(12×15×150cm)に立て、
火鑽杵を二人がかりで上からおさえ、
その杵にかけた鋼の両端を各2~3人で交互に引き合い、その木のまさつ熱によって火を起こす方法である。
煙が上がり火が噴き出すまでには30分はかかる。
火鑽杵を押さえる者、綱を引くもの、息が上がる重労働である。
こうして得られた火を「斎火」(いみび)といい、
神に供える食べ物の煮炊きのほか、頭家の祭壇、産土神社、宮自宅のご各神前の燈明などの火種として用いられている。
祭礼三日目は、早朝に神送りの「注連上げ」の祭典が行われ、その後、例大祭の「頭渡し」の祭典が行われて終了となる。
火鑚りの古事をたどれば、古事記の「国譲り」にその記述がある。
地上を治める大国主命は、天照大神の命を受けて天津国からやってきたタカミカヅチによって強引に国譲りを承諾させられる。
国を譲る見返りに大国主命は、天にそびえるような立派な宮殿を賜りたいと懇願し、叶えられる。
その手打ち式の祝いの宴の様子
<調理人のクシヤタマは鵜となって海底に潜り、海に生えるワカメの茎を取ってきて、これでヒキリの臼を作り、
ホンダワラの茎でヒキリの杵を作り、新たな火を鑚り出してタカミカヅチに美味しい料理を作り供えた・・・・>
<三春天満宮宮司の話>
どれくらい前から始まったのかというのは資料が残っていないので分らないが、火鑚神事は福岡県内に33ヵ所ほどある。
しかし、三春天満宮のような民間信仰としての火鑚の神事は、全国でここだけしかない。
人は罪、穢れを持っている。これらを神様の火で身も心もきれいにするためのお祭りである。
ここで起こされた火は消すことなく常に燃やされ、
年越では境内に火を焚いて、火にあたりながら年末年始のお清めをするのにも使われている
|
|
|
|