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<無形民俗文化財情報>
<名称>簑島百手祭(みのしまももてさい)
<種別>行橋市指定無形民俗文化財
<公開日>毎年5月21日
<公開場所>簑島神社(神事)及び百手祭的場
<時間>18時00分頃~
<駐車場>簑島公民館横の空き地(30台以上駐車可能)
<トイレ>簑島公民館
<問合せ先>行橋市教育委員会 文化課 Tel. 0930-25-1111
(注意)公開場所や日時は保存会の都合で変更になる場合があります |
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<NIA取材記>
取材は2018年5月21日に行った。
場所がわからずだいぶん迷った。
簑島神社は「天照大神」「神武天皇」「神功皇后」の三柱を祀る格式が高い神社である。
拝殿から石段を数十段の登った先に本殿がある。
神職以外は登れない。周りは海で漁業での生業が多いとみた。
「百手祭的場」は史跡になっている。的は神社からこの場所に運ばれる。
的は二種類ある。大的は直径2m30cm、小的は直径1m80cmである。
本年の射手は地元の高校生と大学生であった。
本人たちは的に「当たるだろうか」と心配していたが、
こんな大的を5mほどの位置から射るのだから「外すことはなかろう」と皆は言う。
無事、的は射られ、子どもたちの石の礫で的は壊された。
20分はかかっただろうか。あっという間の神事であった。
2018年6月4日 池松卓成 記す
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<簑島百手祭の内容説明>
簑島はかっては周防灘に浮かぶ小島であった。中世・近世を通して海上交通の拠点として栄えていた。
したがって海賊の襲来もあった。
百手祭とは、弓矢で的を射て、その当たり方で吉凶を占い、五穀豊穣や無病息災を祈願する弓矢神事である。
甲矢と乙矢の一対を一手と言い、百手とは二百本の矢を射ることになる。
これは宮中の新年の行事が民間に伝わったものである。
「簑島神社故實」によれば、簑島百手祭の起源は安土桃山時代の天正年間(1573~1591)まで遡るとされ、
海賊などから簑島を守るため武芸の修練を積むとともに、百手の的を射ることで、ご加護を願ったのが始まりという。
現在、祭りは毎年5月21日の夕刻に行われている。
的や弓とともに地区で最長寿の夫婦が作ったケーラン団子が簑島神社に奉納される。
続いて宮司が、氏子,射手、浄土宗の法泉寺、西方寺、浄念寺の僧侶を前に祭典が行ない祝詞を奏上する。
次に、先に記した3つの寺の僧侶による「神前読経」が行われる。
明治維新、王政復古の思想の元、神仏分離令が出され、神社とお寺は切り離された。
神社にあった仏像や仏具などは、焼却されたり壊されたりしたが、ここでは神仏習合のなごりを見ることができる。
的場は神社のすぐ近くにある。ここで弓射が行われる。
二人の射手が的にそれぞれ三本の矢を放ち、命中するとその年は豊漁、無病息災になるといわれている。
弓射の後は、「的壊し」が行われ、子供たちが的に石を投げつけ壊してしまう。その破片は縁起物として持ち帰られる。
最後に、直会が開かれ、ケーラン団子もこの時にふるまわれる。
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