<無形民俗文化財情報>

<名称>振毛槍並びに子ども楽(ふりげやりならびにこどもがく)

<種別>うきは市指定無形民俗文化財

<公開日>毎年4月11日

<公開場所>賀茂神社(福岡県うきは市浮羽町山北)~隈上正八幡宮

<時間>12:30~15:30

<駐車場>210号線山北信号近くの江藤石油(ガソリンスタンド)前に10台程度駐車可能

<トイレ>賀茂神社社務所にある

<問合せ先>うきは市生涯学習課  TEL0943-76-4724
 
(注意)公開日時は変更になる場合があります 
      <NIA取材記>

 取材は2018年4月11日に行った。

朱の御門、社殿は立派で素晴らしかった。奴は子供と大人の2隊あって

それぞれの持ち味があって良かった。

何本もの毛槍が大空に舞う。その光景が素晴らしかったので、

来年の宮中歌会初めのお題「光」で和歌を詠み投稿した。

子ども楽は横笛であって、練習不足の感があったのは残念であった。

神馬が参加していて伝承の意気込みが感じられた。

お飛びどころの正八幡宮では、鳥居の前の人家の礎石に十~十五人ほどの

ご老人が腰かけて、行列の到着を待っておられた。

そこに雄獅子と雌獅子がやってきて、パクパクいわせながら頭を噛む。

ご老人の笑顔が今でも印象に残っている。

                                          2018年5月9日 池松卓成 記す  
   <振毛槍並びに子ども楽の内容説明>

 浮羽おくんち行列 「振毛槍 並びに 子ども楽」は毎年4月11日(古来祭日は 4月の初酉日 月の初酉日)に行われる。

京の流れを汲む素朴で雅味のある子ども楽が奉納され、大名行列にならった青年振毛槍が加えられ、

みあれ神木に代わって輿よる渡御が行われている。

山北賀茂神社の御幸は 正平16年(1361年)征西将軍懐良親王が九州を兵乱や戦禍から守るため、

竹林因三位中将を奉勅使に立て、当神社に紳鏡幣帛を奉って、山城国の賀茂祭

の格式によって祭祀を斎行せしめられて天下泰平を祈られた。

天正7年(1579年)大友宗麟は柴田長門守嶺能に命じ耶蘇教徒数千人を率いて近隣の神社仏閣の消失させ、

当社摂社ともに焼失した。兵火の後賀茂・日吉・三次三社の仮殿を造営。

25の末社を賀茂神社に合祀。慶安4年(1651年)賀茂神社神殿と拝殿を再建。寛文元年(1661年)境内に観音寺建立。

明治に入り神仏分離令により清水寺(せいすいじ)に移される。

その後、盛哀はあったが、この祭りは代々受け継がれて今日の「おくんち」として伝わっている。

いわゆる「浮羽おくんち」である。

当社で神事と浦安の舞が奉納された後、隈上正八幡宮を往復する行列には、

振毛槍や子ども楽、かわいい稚児などが並び、時代絵巻を思わせる。

境内には、たくさんの露店が軒を連ね、多くの観光客で賑わう。

御祭神は、神日本磐余彦尊、賀茂建角身命・玉依姫命・賀茂別雷命(賀茂下上大神)、懐良親王。

境内では縄文土器、石器、群集石棺群などが多数出土している。