<無形民俗文化財公開情報>


<名称>黒田楽(くろだがく)

<種別>みやこ町指定無形民俗文化財

<公開日>毎年4月25日に近い前週の金/土/日の3日間

 2018年度は4月13日(お汐井)14日(お下り、楽あり)15日(お上り、楽あり)

<公開場所>黒田神社(福岡県京都郡みやこ町犀川黒田字梅林2750)~庄屋塚古墳後円部社殿前~お旅所

<時間>土日とも 15:00~楽 16:00~お下り(お上り)

<駐車場>神社にはない、路上駐車

<トイレ>黒田神社の社務所(1の鳥居付近)にある

<問合せ先>みやこ町歴史民俗博物館  TEL0930-33-4666

(注意)公開場所や日時は変更になる場合があります 
   
<NIA取材記>


 取材は2018年4月14日に行った。朝から雲行きが怪し、楽が始まる15時ごろにはとうとう降り出した。

境内での楽は拝殿に急遽変更されて楽が始まった。

太鼓を胸に抱き頭には羽飾りと鶏の人形を乗せた二人。その他のものも羽飾りを付けている。

杖立て四人の棒うちは、場所が狭いので大きな動作ができず残念であった。

言立ての言葉は断片的にしか聞こえてこない。マイクの使用を望みたい。

外は大雨になった。ビデオカメラは雨に弱い。御神幸の撮影は中止とした。

<鶏楽申立ての言>

東西東西 大道すたれて仁義起こるとかや 当初黒田の荘に打ち伝える音楽は 鳥兜を戴き 鶏楽と申すなり

中絶えていそじの 春秋を過ぎ 永く流水に沈まん事を悲しみ一人の翁に早くの事を訊ぬれば 言うかたかど少し覚えてんと言う

 左らば その器量あらん者に伝え 末代までの秘曲を残したまえ 何ぞ絶えたるをつぎ

 廃れたるも神はのうじふしたもうとて 元禄九のれき 甲子(きのえね)の初秋(はつあき) ゆうがん込めしより

いらい遅滞なく楽を奏し賜えば 天神ちぎ 及び 海龍王に至るまで感激したもうとかや

今もなお しかあらぬ この楽 庭において しょにん しょらく 諸願成就せずと言うことなし

わけして牛馬の疫 消除のため おん氏神のひろまえにて 執行仕えそうろう

いかにこれなる麗人たち 一曲をそうし しんじょうすずしめたまえ されば 太鼓の頭にたのみそうろう

                                          2018年5月10日 池松卓成 記
  
 <黒田楽の内容説明>

 黒田神社は菅原道真・応神天皇・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の三神を祀り、境内社として水神社・大清水神社・恵比寿神社がある。

慶長五年(1600)に黒田の家臣宗我部氏によって荒廃したものを再興する造営がなされた後、

天和三年(1683)・寛政五年(1793)・弘化二年(1845)・安政四年(1857)に小笠原の歴代藩主が参拝したと伝えられ、享保四年(1719)には流鏑馬や連歌が奉納されたという。

現在の社殿は明治十五年(1882)一月に改築されたもので、以前は春の神幸祭や秋祭りで神楽が奉納されたが、高齢化や後継者不足などで終戦前後に断絶したようである。

毎年四月二十四・二十五日(現在は固定していない)には神幸祭が行われ、黒田神社・庄屋塚古墳後円部社殿前・お旅所の三ヵ所で黒田楽が奉納される。

御神輿が黒田神社から発つ際に行われるのが「御立ちの楽」で、お旅所に到着したときは「御着きの楽」が奉納される。

この楽が初めて奉納されたのは元禄八年(1696)で、黒田村に疫病が流行し、

村人は黒田神社に疫病退散を祈願し、にわとりを真似た「にわとり楽」を奉納したところ、疫病は治ったという。

そのとき、たとえ村人が三軒になっても「にわとり楽」を奉納するという固い約束を交わしたと伝えられている。

それ以来、三百年を超す年月が受け継がれている。昭和十七年に一旦途切れはあったが「鶏楽保存会」が立ち上げられ現在まで奉納されている。

楽はすべて男児によって行われ、基本的には鉦・太鼓からなる円陣をつくり舞うが、楽の項目によって舞い方が異なる。

項目は12ある。

①道楽 ②庄屋 杖立・言立 ③唄 ④七ツ鉢 ⑤上り鉢 ⑥庄屋 ⑦南無阿弥陀仏 ⑧引楽 ⑨イレコ ⑩引楽 ⑪狂い鉢 ⑫道楽

楽を執り仕切るのは二人の楽庄屋(大人)で雄と雌それぞれの鶏が描かれた大団扇を振って指揮する。

二人の大太鼓のそれぞれの頭には雄鶏・雌鶏の人形が羽飾りとともに付けられていて楽の中心的役割を果たす。

言立ては裃を付け御幣を担ぎ上記②で鶏楽の由来を述べる。四人の杖立は、長さ六尺の樫の杖で棒さばきを披露する。

言立て一人、杖立て四人の構成は現在まで変わらず伝承されている。