<無形民俗文化財公開情報>

<名称>宇美八幡宮御神幸(うみはちまんぐうごじんこう)

<種別>宇美町指定無形民俗文化財

<公開日>子安大祭は毎年4月中旬の2日間、その中で御神幸は偶数年実施 2018年度は4月15日(日)一日のみ

<公開場所>宇美八幡宮(福岡県糟屋郡宇美町宇美一丁目1番1号)~井野頓宮

<時間>10:00~15:00

<駐車場>宇美八幡宮に駐車場あり(100台程度)

<トイレ>宇美八幡宮にトイレあり

<問合せ先>宇美八幡宮  TEL092-932-0044
 
(注意)公開場所や日時は変更になる場合があります 
   
<NIA取材記>


取材は2018年4月15日に行った。午前8時ごろ宇美八幡宮に着いた。駐車場は空いていたがすぐに満車となった。

境内は活気にあふれ、あちこちで御神幸の準備がなされていた。

10時から神前での 神事がなされ、11時ごろ御神幸行列は、お旅どころの井野頓宮に向かって出発した。

井野頓宮までは結構の距離がある。井野頓宮の参道は急な坂で機材をもっての登坂はきつかった。

井野頓宮でもお着きの神事がなされ舞が奉納された。

宇美八幡宮は、別表神社で格式が高い。境内には老大楠が数本あって圧倒される。

本殿裏には子安石の石置き場があって、すごい数の石が奉納れている。

仲哀天皇、神功皇后、應神天皇に関係も深く歴史的にも面白い。

2018.5.16  池松 卓成
  
  <宇美八幡宮御神幸の御供納の内容説明>

3世紀初め、九州熊襲征伐に訪れた第14代天皇:仲哀天皇は、その志半ばで福岡県香椎の地で崩御された。

その意思を引き継ぎ、神功皇后が子供を宿したまま熊襲を制圧し、筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。

新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約束した(三韓征伐)。

帰国後に、応神天皇を出産され、その地を「宇瀰(うみ)」と名付けた。

その地こそがここ「宇美」町であり、その出産された子が日本文化の基礎を築いたとされる第15代天皇の應神(応神:おうじん)天皇である。

神功皇后が應神天皇を身ごもられて渡海されている際、お腹に「月延石」や「鎮懐石」と呼ばれる石を当ててさらしを巻き、冷やすことによって出産を遅らせたと言われている。

その後、元気な應神天皇を安産されたことによって、宇美八幡宮には「子安の石」という風習がある。

子安の石は、妊娠された方が宇美八幡宮にあるこぶし大の丸い石を持ち帰って神棚に置き、

無事に出産された際には、その石を宇美八幡宮へお返しすると共に、

新たに同様の石を自分で用意し、その新たな石に生まれた子の名前を書き入れて、借りた石と共に宇美八幡宮へ納める。

その石は、また次の方へと引き継がれ同様に新たな石と共に返される。

神功皇后の出産にちなんで、安産の願いを込めて奉納された「子安石」も、宇美八幡宮ならではの信仰である。

應神天皇は生まれつき弓の名手であり、両親の血を受け継いで多くの勝負に勝ち、いつしか「八幡神」と呼ばれるようになった。

八幡の称号は應神天皇が誕生される際、御産舎の四辺に八つの幡を立て兵士に守らせたという故事があり、「後世八幡大神と称するは此故なり」と伝えられている。

八幡信仰は後世で源氏の氏神・戦神として全国広まり、全国の八幡宮という神社として親しまれている。

宇美八幡宮の春の大祭を「子安大祭」という。

境内には、神功皇后が取りすがって安産したという「子安の木」や、産湯として使ったといわれる湧水「産湯の水」などが残っている。

また、樹齢2000年以上と推定される国指定天然記念物の「湯葢の森」「衣掛の森」という二本の老大樟もあり、

安産育児の神社として「子安の大神」と称せられてもいる。

「子安大祭」は、今日では新暦4月中旬の2日間執行される。この子安大祭の中で2年に一度「御神幸(ご遷宮)」が行われている。

稚児行列もあって御神幸が華やかなものになっている

神幸の儀は井野頓宮へ向かう途中御休みの場として浮殿があり、その地名は今も残っていることから、相当古くからの行事であることがわかる。