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取材日:2007年4月29日
神社前に集合した山車4台 五所八幡宮本殿 石段を下りる御輿

<無形民俗文化財情報>

<名称>五所宮囃子(ごしょみやばやし)

<種別> 中井町指定無形民俗文化財

<所有者・管理者>五所宮囃子宮本地区保存会
(指定日1977年4月1日)

           五所宮囃子藤沢地区保存会(指定日1978年11月1日)

            五所宮囃子田中地区
保存会(指定日1979年4月1日)


           五所宮囃子半分形地区保存会(指定日1979年12月1日)

<問合せ先> 中井町教育委員会生涯学習課 TEL 0465-81-1111


出版物>調査中 
   

   

<公開情報>

<公開日>毎年4月29日、午前10時頃より午後9時頃まで

<公開地>五所八幡宮(神奈川県足柄上郡中井町遠藤)及び周辺地区

<公開時間>午前7時頃より各地区では山車の飾りの組み立てが行われる。

        午前9時頃に山車が八幡宮に向かって出発する。

        午前10時 4地区(宮本、藤沢、田中、半分形)から山車が引かれて4台の山車が五所八幡宮の鳥居前に集まる。本殿

       前では式典が行われる。

       午後1時ごろ御輿二基が本殿を右回りに三週して神社を出て町内を練り歩く

       午後4時30分ごろ山車4台が馬場(お旅所)に入り整列する。その後、御輿二基が船形の舞台の前に到着する。

       午後5時30分ごろ神幸祭が行われ、「鷺の舞」が奉納される。その後、二基の御輿に灯りが入り、また町内にくりだす。

       午後7時30分ごろ、二基の御輿は中村川に入り、「川入り」という行事が行われる。4台の山車も灯が入り、川岸に整列し

       盛んに五所宮囃子を奏でる。

       午後8時ごろ、御輿は宮入し、山車は旭橋で4地区に「曳き分かれ」で帰っていく。

<交 通>JR東海道線二宮駅下車、比奈窪行きバス25分、五所宮下車、徒歩2分

      小田急線秦野駅下車、比奈窪行きバス25分、比奈窪下車、徒歩10分

<高 速>東名自動車道中井ICより約10分

<駐車場>神社には駐車場はない。旭橋のところにコンビニがある。

<食 事>旭橋のところにコンビニがある。

<温 泉>調査中

<宿 泊>調査中



<五所宮囃子の内容説明>

 
五所八幡宮略縁起によると、後白河天皇の保元2年、比叡山延暦寺の高層慈恵大師の門人である僧義圓が東国の行脚の折、当町

雑色村の子の神の祠に一夜の宿を借りた。その夜の霊夢により白鳩に導かれ現在の地(竜頭丘の杜)に至った。ここに現れた童子(五

所八幡宮の主祭神である誉田別尊)の霊言に従って勧請したと伝えられている。

五所宮の名の由来は、欽明天皇の御世に豊前国(大分県)の宇佐に始めて八幡宮(宇佐八幡宮)が勧進され、二番目は京都の岩清水

八幡宮、三番目は鎌倉の鶴岡八幡宮、四番目に河内の壷井八幡宮、五番目が当社であったことによる。
創建当時は源頼朝の祈願所

の一社に数えられ、頼朝に仕えたこの地方の豪族、中村荘司宗平が当社を守護神として深く尊崇した。以後、その三男の土屋三郎宗

遠、娘婿の曽我太郎祐信の両家より祭典の供物を納めるのを常とした。

文明元年正月に火災により御神体のみを辛うじて御動座できたという。以前の諸記録や神宝等皆消失し詳細は分からなくなった。

その後、小田原の北条氏を始め武家の崇敬を広く集め、曽我五郎時致寄進の弓や脇差、春日局の子の稲葉丹後守正勝寄進の太刀

や甲冑など多数の神宝があったとされるが一部を残して戦後の混乱期に消失したという。

明治6年郷社八幡神社となる。この頃の神仏分離令による誤解から参道階段の中程にあった荘厳な隋神門を取り壊したと伝わってい

る。その後、村内の十七社の祭神を合祀し「諸願成就の宮」と呼ばれた。

当社の秋祭り(9月23日)はこれを記念する祭礼であるが、明治15年には4月20日となり、昭和46年からは4月29日に行われるよう

になった。

現在の例祭は、神輿二基、山車四台が巡行して境外社有地馬場をお旅所として「紳幸祭」が行われる。

見せ場は4台の山車の馬場への引き入れであろう。4台の山車が勢ぞろいし順に五所宮囃子が奏でられる。山車を取り巻いた観客か

ら歓声と拍手の渦が巻き起こる。

そうこうするうちに二基の神輿が勇壮に入ってくる。土埃が
舞って遠くが見えないありまさだ。皆の興奮が静まり始めたころ、全国に3ヶ

所しか現存しないという「鷺の舞」の奉納も船型の上で古式どうりに行われる。

神幸祭が済み、日は西に傾きあたりは薄暮くなりはじめたころ、神輿はまた市中に繰り出す。山車には灯が入り、昼間の山車とはまた

趣が異なり人々を幻想の世界へと誘う。

神輿の宮入の直前には、祭場近くの中村川沿道で松明が灯され、二基の神輿が川に入る。手締めの後に神輿は宮に帰り、山車は旭

橋のところで四方向に分かれ、それぞれの地区に帰る「山車の曳き別れ」という祭りのクライマックスを最後に、この勇壮で幻想的な祭

りは終る。夕闇の中を灯された山車の灯りがゆらゆらと揺れながら次第に小さくなっていく。それにともない、軽妙な五所宮囃子のリズ

ムもまただんだんと小さくなってゆく。


<NIA取材記>

 早朝からの開始であるので夜中に現場に移動した。午前3時ごろ現場に着いた。コンビニに駐車して時間を調整したが朝方はかな

り冷え込んで毛布をかぶって寝ていた。コンビニに今日一日駐車はできないだろうと思って、少し山手に入っていったら、小さな公園

があり数台の車が駐車していた。ここなら大丈夫だろうと思い、うとうとしていたらあたりが急に騒がしくなった。なんだろうと見回したら

山車が引き出され、若衆ががやがや言いながら山車の飾りを取り付けている。幸運にもここは半分形地区の山車の倉庫であり半分

形自治会館であった。早速、山車の取り付け状況から撮影を開始した。一面に並べられた山車の部品は100点近くもある。

山車と彫り物は江戸後期(1830年頃)のものであり平成に入り大修理が行われているとの事であった。

手際よく飾り付けが終わり、太鼓を中に入れて初たたきが行われる。「車切り」という調子は珍しく始めて聞くものであった。

山車は,多くの子供たちと共に地域の人々の手により五所宮囃子を奏でながら、五所八幡宮まで引かれて行く。

五所八幡宮で4台の山車が勢ぞろいをし9mほどの御神木がどの山車にも立てられ、五所宮囃子の競演となる。

御輿もくりだし町内は祭り気分が盛り上がる。午後、「神幸祭」も馬場で行われて「鷺の舞」の奉納もある。

日も暮れてあたりが暗くなる頃、川岸には松明やかがり火もたかれ川面にきらきらと反射する。、明りを灯した4台の山車はとても美

しく見る人に感動を与える。

町内を練り歩いていた二基の御輿が中村川に入る「川入り」の行事が始まる。ここで見物人の歓声と拍手が起こり祭りが終る。

4台の山車は旭橋のところで4地方に分かれて去るという「曳き分かれ」が行われる。見物人の興奮は何時までも冷めやらぬ光景で

あった。

                                                             理事長

山車の彫刻1 夜間の山車 山車の彫刻2
    
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