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取材日:2007年7月15日
サルダヒコノミコトの舞 白幡八幡大神 アメノウズメノミコトの舞

<無形民俗文化財情報>

<名称>禰宜舞(ねぎまい)、附 神楽面5面

<種別及び指定日>川崎市指定無形民俗文化財(指定日1984年10月30日)

<所有者・管理者>禰宜舞保存会


<問合せ先> 白幡八幡大神社務所 TEL 044-977-5639


出版物>調査中 
   

   

<公開情報>

<公開日及び時間>毎年7月の第三日曜日、午後1時ごろより

            毎年9月の第三日曜日、午前10時ごろより

<公開地>両日とも白幡八幡大神(神奈川県川崎市宮前区平4丁目6の1)の社殿内

<中止等>社殿内で舞われるため雨天でも決行される。観客は拝殿に上がり参観する。

<交 通>東急田園都市線宮前平駅より溝の口駅前行きバス20分、東名向丘入口又は白幡八幡前バス停下車、徒歩3分

<高 速>東名川崎ICより約10分

<駐車場>神社の無料駐車場に8台程度可能(すぐ満車になります)

<食 事>平5丁目信号付近にコンビニがある。

<温 泉>調査中

<宿 泊>調査中



<神社の由緒>

 
康平元年(1058年)、平安時代中期のころ、源頼義が奥州2ヶ国の征夷将軍として遠征に出る事になった。そのころの奥州は、未開

の地で凶暴な地域であり、無事に帰ってこられる勝算はなかった。

そこで崇敬の厚かった鎌倉八幡宮にご加護をいただくために参詣し、「このたびの指名を果たすことができましたならば、鎌倉から奥州

への街道十里(約40km)ごとに八幡祠を造ります。」と誓いをたてた。


当社の地がちょうど第1番目の里程になり、山上高く幣帛を掲げて祈願をこめた。この祈りが神に通じたのか、無事使命を果たし帰るこ

とが出来た。神との約束を果たすために、康平4年(1061年)この地に八幡社を奏祠した。

それから後に、戦乱がつづいた影響で神社も荒れてしまった。

源頼朝が鎌倉に幕府を開き、祖先の事暦を調べさせた。その結果、当神社の再建がなされ「源栄山八幡宮」と称されるようになった。

その頃、稲毛三郎重成が桝杉山に居をかまえて、この地の領主となった関係で当神社は稲毛領五十七ヶ村の総鎮守となった。

現在の神社に掲げられている額面には「稲毛惣社白幡八幡大神」とある。

明治6年(1873年)郷社となり、大正3年(1914年)熊野神社、稲荷神社、五所神社、天満宮、神明神社、厳島神社を合併する。


昭和48年(1973年)新社殿遷宮


<禰宜舞の内容説明>

 
新編武蔵風土記稿には、神主小泉家について次のように書かれている。

「村内の八幡、神明、五所、稲荷などの神職を兼務む・・・・・・。近村神主少きゆえ何れの村に祭あるごとに、必ず信濃に託して今の俗

に用ゆる所の十二座及び五座等の神楽を行えり」とある。

ここに記されている五座の舞が禰宜舞です。

禰宜舞の起源は、はっきりしないが、慶長5年(1600年)に徳川家康が関ヶ原出陣の時、戦勝祈願のために、平村白幡八幡神社の神

主の小泉に太太神楽を興行させたのが始まりとされ、江戸初期には正月三日、江戸城に上り将軍の前で舞ったと言われている。

舞は素面(面をかぶらない素顔をいう)による、「四方祓いの舞」のあと、面と衣裳を取り替えて後述の五座の神々の舞を舞う。

なお、舞は禰宜の一人舞で一子相伝で伝えられており、現在は二十五代の小泉直穂氏が舞われている。

この禰宜舞の特徴を挙げるならば、次のようである。

(1)神楽殿で舞われるのではなく、社殿の中の幣殿で舞われる。

(2)採物神楽の系統で歌や問答もない、ただ舞のみであり、締め太鼓1つの調子に合わせて舞う。

(3)すべての舞は、四方固めの舞い様と同じである。

(4)神話に出てくる神々の名前が舞の名称になっているが、その神に関する神話を示す所作はない。

五座の神々の舞


(1)猿田彦命(サルダヒコノミコト)の舞

(2)天鈿女命(アメノウズメノミコト)の舞

(3)天児屋根命(アメノコヤネノミコト)の舞

(4)彦火火出見命(ヒコホホデミノミコト)の舞

(5)大山祗命(オオヤマズミノミコト)の舞

                                                             「白幡八幡大神の栞」より転記



<NIA取材記>

  地元、川崎市指定の無形民俗文化財の取材という事で撮影が楽であった。第一には、距離が近いので助かった。

正午過ぎに白幡八幡大神に着いたが誰もいない。本当に禰宜舞が舞われるのと訝しがっていると氏子の皆さんが集まりだし神事が

始まった。

禰宜舞が始まる頃(午後1時30分)には70人程度が拝殿に上がり、舞の開始を待っていた。

中に20代後半の外国人男性が参観されていたので、インタビューを申し込んだ。

彼はイギリス人で奥さんは日本人との事。このような無形民俗文化財には興味があるそうで、福岡の大宰府天満宮で行われている

「曲水の宴」のことを語ってくれた。この文面を借りて感謝申し上げる。

また、高校の文化サークルの活動としてビデオ撮影されていた2名の高校生もおられた。ご健闘を祈ります。

舞が済んだ後には、お供えのもちのばら撒きがある。大量のもちがばら撒かれて、拾えない者はいないのではないかと思う。

残念なことに、カメラをまわしているので、今までにこれらのもちを拾ったこともない。
                                                                         理事長


アメノコヤネノミコトの舞 ヒコホホデミノミコトの舞 オオヤマズミノミコトの舞
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