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取材日:2006年8月12日
奥にあるのが円海作の獅子頭 鈴木家 父獅子の下顎にある「円海」の刻印

<無形民俗文化財情報>

<名 称>鳥屋の獅子舞

<種別及び指定日>神奈川県指定無形文化財(指定日1954年12月3日)

            神奈川県指定無形民俗文化財(指定日1976年10月19日)

<所有者・管理者> 鳥屋獅子舞保存会

<問合せ先> 津久井町産業経済課商工観光係  Tel 042-784-1141 

<出版物>鳥屋の獅子舞(一人立三頭獅子舞) 荒井俊明著  ご購入は、上記へお問い合わせ下さい
。 

   

<公開情報>

<公開日>毎年8月第2土曜日、諏訪神社例祭で公開

<公開地>諏訪神社(神奈川県相模原市津久井町鳥屋1140番地)の境内、又は境内にある獅子舞伝承館(雨天時)で公開される。

<公開時間>午後2時頃、鈴木家(神奈川県相模原市津久井町鳥屋中開戸)に獅子舞関係者が集合し準備をした後に神事がある。

午後2時30分頃、万灯、山車、御輿などが中開戸下橋に集合し獅子の到着を待つ。

午後3時頃、中開戸下橋より1Km程離れた諏訪神社へ獅子を先頭に道行き笛の音にのって進んで行く。その後に万灯、山車、御輿

などが従い彩りを添える。

午後4時頃より諏訪神社境内で獅子舞奉納、雨天時は「鳥屋獅子舞伝承館」にて公開される。

午後4時40分頃に獅子舞の奉納は終り、神社本殿で獅子に付けられた飾り紙(フサ)が、魔除けとして参拝者に配られる。

<交  通>横浜線、京王線、橋本駅北口下車、バス(鳥居原ふれあいの館行き)郵便局前下車、徒歩1分

<車の場合>中央自動車道「相模湖東出口」より国道412号を南下、関信号より県道513号へ。

<駐車場>神社近くに10台程度の臨時無料駐車場があるが、午後になると空きはない。

<食  事>弁当持参が良策である

<温  泉>調査中

<宿  泊>調査中


<鳥屋の獅子舞の内容説明>

(概要)

 諏訪神が鳫の羽根にのってこの地に影向し社殿を構えて鎮守したと伝えられ、その年は享禄3年(1530年)といわれる。

同社の鍵取寺(かぎとりでら)は、天台宗清真寺(せいしんじ)といい正治2年(1200年)とも1241年の開基ともいわれる。

この寺の十世住職に「円海法印」がいた。円海は旅の修験者であったという説もあり、鳥屋村中開戸上部落の鈴木治右衛門家に生ま

れ僧籍に入って八王子市高槻の円通寺末、法印寺で修行した人という説もある。

荒井俊明氏の調査によると、円海は法印寺では八世住職、清真寺では十世住職で両寺の住職を兼務していたらしい。

円海は諏訪神社の祭礼に祭事芸能がないことを淋しく思い、八王子市高槻(信州からという説あり)から獅子戯を移入してこの行事を

起こしたと伝えられている。

彼は自ら刀を取って三匹の獅子頭を彫った。素朴な、いかにも修験僧が彫ったような獅子頭で、扁平で細長く角張っているため、まる

で重箱のような感じであることから「重箱獅子」の名がある。

父獅子は角が螺子形の巻角が2本あり「じいさん獅子」ともいい、その下顎の部分に「円海」との刻印がある。

母獅子は角がないが額に宝珠がある。「ばあさん獅子」ともいう。子獅子は棒状の角2本あり「息子獅子」ともいう。

いずれも頭頂に大きな目玉があり、鼻穴がとても大きい。また牙が上向きに鋭く尖っている。

色は丹塗りで鶏の羽根を植え込む。母は麻緒もつける。白髪を意味するのか、父には白羽根も黒羽根に混じって植える。

円海作の獅子頭は痛みが激しく使用できなくなったので、会津若松産の30年ものの桐をもって、刻は荒井俊明氏が中心となり、塗り

は東京浅草の業者に依頼して昭和61年に二代目が新調された。

獅子の着物は、藍色の麻地に牡丹唐草の模様を染めたものであり、この獅子舞によく似合っている。背には赤、黄、緑の「飾り紙」をつ

ける。

一方、舞い手は白衣、股引き、手甲、白足袋姿である。父と子獅子は胸に太鼓をつけ、両手でバチ打つ。母は太鼓をつけず「ササラ」を

持つ。みな、腰に五色の幣(コシバサミ)をさす。

獅子の他に「蛙」あるいは「ササラ摺り」と呼ばれる3人のササラ子がいる。5〜10歳位までの男児で、久留米絣の着物に田楽笠を被り

ササラを摺る。笛役や歌役は白地の着物に黒の夏羽織を着て下駄を履く。

(舞態)

獅子舞は、「道行」「狂い込み」「歌」「狂い込み」の順で演じられる。歌は母音を伸ばすスローな曲と早い調子の曲の2つに分かれるが、

舞は「女獅子隠し」等の特別な箇所以外は歌のストーリーを演じることはない。すべて淡々たる舞ぶりは寛文・延宝(1661〜1680年)

頃の一人立ち三頭獅子舞の古態を伝えるものであろう。

ところで江戸時代の民俗芸能は、元禄を境目にして大きな変化がある。現在関東に残る三頭獅子舞の大半は元禄以降のもので豊年

踊りのような風流化したものである。

鳥屋の獅子舞は、動作が単純で、左右に首を振り、前方にオジギをするような格好をする(前半部分)。このような単調な舞は、祈祷的

というか一種の神がかり状態に心理を導くもので神事舞踏の特徴を示す。

円海の没年(延宝6年11月14日)から逆算しても三百数十年の古格を持つ獅子舞として貴重である。

事実、獅子頭の構造と獅子の舞態は八王子周辺に現存する「一人立ち三頭獅子舞」とは異なる龍頭であり、上州・信州・秩父地方に多

い様式である。神奈川県には「鳥屋の獅子舞」以外にはこのようなものはない。

(昭和3年の振興と課題)

 鳥屋の獅子舞の行事は明治末期より衰えはじめ、一時期「置き祭」といって祭礼当日、社前に獅子頭を供え置くだけで舞楽を行わな

いときもあって衰退の一途をたどっていった。

しかし、昭和3年、これを憂えた有志が行事の振興を計り今日まで伝承してきたが、少子高齢化が新たな悩みとなっている。

獅子役の3人は、はじめ14〜15才位の少年を選んで、数年から十数年にわたって継承する慣わしであった。今日、これらの少年がい

ない事である。3人いても急の病気で1人でも欠ければ舞うことができないため、獅子舞関係者の心労の種になっている。

(歌詞)

「獅子御神歌集」という享保3年(1718年)の写本の写しがある。それによると、歌詞の大半は関東地方に共通したものになっている。

一般に三頭獅子舞の歌詞は、「村」「家(庭)」「社」「厩」「持山」「結婚」「祈雨」を対象として祝福と祈祷をするものである。

その運載者は、各地を定期的に巡行し祝福したが、農村の繁栄と家長制度の確立を反映してか各地に定着するようになった。

鳥屋の獅子舞は、全部で19歌ある。これを「19くさり」とも呼んでいる。

以後にそのすべてを記す。(  )内は、何を祝福・祈祷しているのかという事と、この祭事で実際に歌われるのかを記す。

(1)この程を参る参ると申せども 橋は引橋飛ぶに及ばず(村ぼめ  歌われる)

(2)この橋を渡りながらも面白や 黄金駒寄白銀の橋   (村ぼめ  歌われない)

(3)参り来てこれのお庭を見申せば 黄金小草が足にからまる   (庭ぼめ  歌われない)

(4)参り来て御宮づくりを見申せば いかなる大工が建てたやら 九間八つ棟桧皮葺き くさび一つで四方堅めて

                                                                 (宮ぼめ  歌われない)

(5)参り来てこれの書院を見申せば 磨き揃えて槍が五万本   (家ぼめ  歌われない)

(6)五万本の槍をかつがせ出るなれば 四方遥かに殿の御上洛   (家ぼめ  歌われない)

(7)参り来てこれの御馬屋(みまや)を見申せば 繋ぎ揃えて駒が七匹   (厩ぼめ  歌われない)

(8)七匹の駒の毛色を見申せば 連銭葦毛(れんせんあしげ)に月額(つきびたい) 柑子(こうじ)栗毛に墨の黒 蜜柑瓦毛鹿毛の駒

  錆や月毛は神の召し駒   (厩ぼめ  歌われない)

(9)白鷺が羽根をくわえて八つ連れて これのお庭に腰を休めて(屋敷ぼめ  歌われる)

(10)山雀(やまがら)の山に離れて八つ連れて これのお背戸のめくら木にとまる   (屋敷ぼめ  歌われる)

(11)めくら木の枝をいくつと眺むれば 枝は九つ花十六   (屋敷ぼめ  歌われる)

(12)十六の花をつくづく眺むれば 黄金白銀が咲き乱れ これのお背戸は名所なるもの   (屋敷ぼめ  歌われる)

(13)思いもよらぬ朝霧が降りて そこで女獅子が隠されたよな いじゃしゃれ立ちて尋ねに行く

                                                     (女獅子隠し、結婚寿歌  歌われる)

(14)嬉し山 霧も霞も巻きあげて そこに女獅子が現れたよな   (女獅子隠し、結婚寿歌  歌われる)

(15)天竺のあいそめ川原のはたにこそ 宿世結(しゅくさむす)びが神たたれた 宿世結びが神ならば 女獅子男獅子を結び合せる

                                                       (女獅子隠し、結婚寿歌 歌われる)


(16)向かいの山で笛と太鼓の音がする いじゃしゃれ我等も参廟(さんびょう)しやれ   (入端の歌  歌われる)

(17)鹿島から切るは切るはと責められて 習い申せばかしまきににまき   (入端の歌  歌われる)

(18)奥山の松にからまる蔦さえも 縁がつきればほろりほごれる   (入端の歌  歌われる)

(19)我等が里で雨が降るげで雲が立つ おいとま申していじゃとまもだち  (雨乞いの歌  歌われる)

                                   「鳥屋の獅子舞(一人立三頭獅子舞)」 荒井俊明著を参考に記述した


<NIA取材記>

 鳥屋の獅子舞の撮影は、平成18年8月12日に行った。鳥屋の祭礼は、当初は毎年8月15日に挙行されていたらしいが、明治維

新後の神仏分離により清真寺を離れた獅子舞は諏訪神社の神事舞踊となり、祭礼日も変更され、維新後は9月3日、昭和11年頃は

8月22日、昭和57年より8月10日(現在は8月第2土曜日)となった。これらの変更は、養蚕等の関係もあったと言われるが、鳥屋

の祭礼日には雨が降ることが多かったことが直接の原因だったらしい。

事実、当日も中止かと危惧されるくらいの雷を伴う大雨が降った。

獅子舞の奉納は、雨が降らなければ境内に3枚のムシロを敷いてその上で舞われるが、あいにくの雨だったので神社境内に建てら

れている「獅子舞伝承館」での公開であった。

間口に人が集まって身動き出来ないような状態の撮影であった。当然、三脚は使えない。三脚に人が触れたりあたったりすると画が

ぶれるからだ。それを見越して初めから終りまでの約30分間、10Kgのカメラを肩に担いでの撮影を行った。

獅子舞は単調で派手な演出もないが、3枚のムシロの上で移動しながら舞う技量は、相当な練習があってこそできるものである。

歌は19くさりあり、その内の12歌が歌われるが、歌の意味を理解した上で見てみると、とても味わい深い獅子舞である。

また、諏訪神社への道行きは田園風景(鈴木家付近)とも溶け合って素晴らしいものがある。


  「そこのけと 獅子舞通る 笛の音 うかれて踊るや カマキリバッタ」          理事長

諏訪神社までの道行き 公開中の獅子舞 万灯、山車
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